白いA4サイズの白紙一面に描かれた黄色と青色の線は繋がっていた。 クレヨンで書かれた、お世辞にも上手とはいえない絵を指でなぞる。 クレヨン特有の感触を指で感じ、そしてまたジッと見つめる。 辛うじて人を描いた絵だと判断できる。 描かれているのは二人。 青い線で描かれた人の髪はピンクの線で描かれた人物よりも長く、一本の棒のような双方の腕らしきものは手を繋いでいるように重なっている。 微笑ましい気持ちになって、笑みがこぼれる。 そして、その用紙をまた封筒に戻し、ベッドの枕元にそっと置いた。 「ん…っっ…」 ベッド上の丸い塊がゴソゴソと動いた。 頭からすっぽりとかぶった毛布を剥いでうつろな視線がこっちに向けられる。 「もう…朝なの?」 いつもより低くてかすれ声が投げかけられた。 「あ、起こしちゃいましたか?すみません…」 祐巳がそう言うと、祥子さまは苦笑する。 「謝る必要なんてないわ。だって、朝どころか11時じゃないの」 祥子さまが壁掛け時計を指差した。 時刻はAM11時13分。 デジタル式の大きな文字盤がそう告げている。 たしかに、朝、とはいえない時間帯かもしれない… それでも祥子さまはまだ眠いらしい。 起きてはいるけれど、完全に起きたわけではなく、布団にくるまって眠気が去るのを待っているような状態。 まだ視線がボーっとしている。 こうやって祥子さまが布団をすっぽりかぶって寝てるときは大抵がとても疲れているとき。 コレは一緒に住むようになって分かったこと。 学生のときとは違い、社会での仕事はハード。 休みになると今日みたいにゆっくり眠れるから、睡眠をとって少しでも身体を休めて欲しい。 「何、見てたの?」 気だるげに身体を起こして祥子さまは問うた。 きれいな黒髪がソレにつられてサラサラと肩を滑る。 「あぁ、手紙ですよ。昨日届いたんです、私と祥子さま宛てに」 「あら?これって…」 薄緑の封筒に書かれた差出人の名前と住所をみて少しだけ驚いたような表情。 「おチビちゃんたちからじゃない」 住所は祐巳の実家近く。 名前の苗字は福沢。 「おチビちゃんって…祥子さま、ちゃんと名前はあるんですよ?」 祐巳が苦笑する。 差出人は福沢大麒と福沢祐衣。 今年4歳になったばかりの甥と姪の双子。 二人とも福沢家のかわいいたぬき顔を受け継ぐ祐麒の子どもたちである。 知ってるわよ、と祥子さまは呟いて封筒の中に指を入れた。 入っていたのは数枚の写真、それと二枚の紙。 それぞれの写真の裏には一言が添えられている。 「皆、相変わらずね」 「はははは…」 「特に聖さま…この写真はお姉さまに返品しなくてはね」 「そ、それは止めたほうが…いいと思いますよ」 祥子さまが提示した写真には学生の頃より少し髪の毛の伸びた聖さまがひとりで写ってる。 問題はその裏。 聖さまらしい癖のある字。 元気? 今度そっちに行かせてよ。 追伸 祥子に飽きたらこっちにおいで。祐巳ちゃんなら愛人OKだよ。 祐巳は祥子さまのお姉さまである水野蓉子さまの顔を思い浮かべた。 こんな文章を読んだから、聖さまはただでは済まされないかもしれない… 「そ、そんなことよりほら、二人が絵を書いてくれたんですよ」 「これは祐巳と私、よね」 青と黄色のクレヨンで書かれた人物画らしきもの。 手を繋いでいるようだが、青と黄色の線が交じり合ってグリーンに。 それを見たとき、祥子さまは少しハッとした表情で急にカレンダーを見つめ、考え込むように空中を見つめた。 「どうかしましたか?」 声をかけられて再び祥子さまはハッとした表情。 「いえ、なんでもないの……ちょっと思い出したことがあっただけよ」 なんでもない、というふうには見えなかったが、そんなに深刻そうな様子にも見えないので祐巳は話を続けた。 だって本当に何かを思い出しただけのような、そんな感じだから心配することじゃなさそうだ。 だから、そうですか、とだけ言葉を続ける。 「上手にかけてますよね。あとで壁に飾ろうかと思ってるんですけど、いいですか?」 「えぇ、それはかまわなくてよ」 「じゃ、あとで買い物に行きましょう?額縁のかわいいのが欲しいんです」 「今から行きましょうか。ついでに昼食も外で食べればいいわ」 「あ、それもそうですね」 祥子さまは微笑むとベッドから立ち上がり、祐巳も慌ててベッドから出て外のお日様の光を入れようとブラインドを上げた。 本日も晴天なり。 カリフォルニアの日差しは眩しく、空は青々と広がっている。 さて、出かける準備をしなくては…と、祐巳は慌てて着替えの作業にうつった。 祥子さまがリリアンを卒業なされて10年近く。 あの時18歳だった祥子さまも今は28歳、祐巳は27歳になる。 大学を卒業なされた祥子さまは卒業してすぐにアメリカに旅立った。 日本での小笠原グループは柏木さんに任せ、海外での仕事を祥子さまに任せたいというお祖父さまたっての希望。 祥子さまと離れて寂しくなかったかといえば寂しかった。 でも、祥子さまは行ってしまった。 少しでも慰めになったのは祥子さまからのメールと休日にくださる電話。 内容は毎日くだらないこと。 夏は暑いだの、食事が合わないだの… そしてあれは2年ほど前。 祐巳が24歳のころだった。 大学卒業後に家の近くの幼稚園で就職が見つかった祐巳はいつものように仕事を終え、幼稚園の門の前にたどり着いたときに、赤い夕日に照らされながら門柱に身体を預けている人影を見た。 人影が顔を上げて視線をこっちに向ける。 「祐巳?」 「ど、ど、ど…」 いるはずもない、と思いながら頬をつねってみた。 痛い… クスクスと笑い声が聞こえる。 その声もしぐさもまぎれもなく… 「祥子さま!」 祥子さまは祐巳には内緒で一時帰国をなさっていたのだ。 聞くと、実家のほうにはもう顔を出され、祐巳に会おうと祐巳の家に行ったはいいが、まだ帰宅していない。 ならば迎えにいこうと待ち伏せしていたのだ。 祥子さまは変わらない。 高校時代と同じ頬笑みで、同じ眼差しでそこにいた。 「にしても、もう7時半じゃない。いくら夏は日が落ちるのが遅いとはいっても働きすぎでなくて?」 「そうですか?こんなもんですよ、どこも」 幼稚園駐車場に止めてあった赤いセダンにエンジンをかけて祥子さまは尋ねる。 公務員じゃあるまいし、そんなに早く帰宅できる職場はない。 大体この時間帯なら早いほうではないだろうか。 「ふぅ〜ん…そうなのね」 祥子さまは考え込むようにして、そして、アクセルを踏んだ。 祐巳の家までは車で15分ほどだ。 本当は車で出勤したいのだけど、幼稚園関係者駐車場の台数は少なく、ハズで通勤しても30分もかからない。 だから、いつもはバスを利用している。 祐麒がごく稀に送迎してくれることがあるけれど… エアコンの音がかすかに唸る中、祐巳は祥子さまに会ってからずっと思っていた疑問を口にした。 「何故、祥子さまは戻っていらしたんですか?」 「あら、戻ってきたら都合が悪かった?」 「いっ、いいえ!そんなことは決して!!むしろ、すっごく嬉しいのですけど…」 からかうような視線が祐巳を見る。 その視線で祥子さまが祐巳をからかったのだとわかる。 こういうやり取りって何年ぶりだろう。 祥子さまが旅立たれて、電話で話していても感じられなかったものが確かにここにはある。 傍にいるということが嬉しくて、目からこぼれるものがあった。 「……寂しい思いをさせて今までゴメンナサイね?」 祐巳が泣き出してしまったので祥子さまは祐巳の髪をその白い指先でゆすった。 高校時代していたおさげはもうない。 その表情は辛そう。 「寂しかったです。でも、今は幸せです。祥子さまがここにいてくださるから」 祐巳が微笑むと、祥子さまは複雑そうな表情を浮かべた。 苦笑いとはちょっと違う、嬉しそうな、それでいて心配そうな、そんな感じ。 多分、数日後には祥子さまは帰ってしまう。 そしたらまた電話とメールだけの日々が戻ってくる。 でも、それはむこうに仕事がある祥子さまにとっては仕方のないことで、祐巳にはどうすることもできない。 「そう、それなら…」 「それなら?」 言葉に詰まってしまった祥子さまに祐巳が続きを促した。 「いえ、この話は落ち着いた場所で話そうと思っていたのだけど…重大なことだから」 ちょうど車は赤信号で停止した。 祥子さまはスウッと深呼吸をして一息に言った。 「祐巳、私と一緒にむこうで暮らさない?」 そう言った祥子さまの表情はすっかり暗くなった空のせいでよく見えなかった。 会社の社内に保育施設を作るとかで、そのためちょうど日本人の幼稚園教諭を探していたのだとか。 日系の会社だからほとんどが日本人。 英語力は必要ないし、H−1Bビザのサポートも会社のほうでするとのこと。 だから、祐巳が来るのならばどんなことでも手伝う、というのが祥子さまの話。 確かに外国や日本の企業でも社内に保育所などを設け、会社で働く女性を応援するという話を聞いたことがある。 「でも…」 祐巳はそれ以上言葉が出なかった。 何で私を選んだんですか?なんて間抜けな台詞はいいたくない。 祥子さまが祐巳のところに来た理由はなんとなく分かるから。 「いろいろと不安なのは分かるわ。私もそうだったし…家族や友人と離れるのも辛い」 信号が青になって車はまた動き出す。 「ただ私の我がままなのよ。あなたと一緒にいれれば…なんてね」 家までもう少しの距離。 微妙な空気が二人の間を漂う。 この角を曲がれば、家は見える。 「迷惑だったら断ってもいいわ。あなたはこうして仕事もしてるのだし、いきなり言われても心の整理がつかないでしょう?」 とうとう車は家の前。 ゆっくりとブレーキが踏まれ、ピッタリと停まった。 「返事は急がないから、決心がついたら言ってちょうだい」 家の前の街灯に照らされて祥子さまの顔が良く分かる。 少し不安そう。 でも、そんなことは出さないように無理して微笑んでらっしゃる。 「はい…」 いっぺんにいろんなことを考えてしまって、いろいろと話したいことはあったはずなのに頷いて黙ることしか出来ない。 頭の中が真っ白ってこういうことを言うんだな、なんて冷静に見つめてる自分も一方でいる。 ドアを開けて、アスファルトに足をつける。 生ぬるい湿気が途端に入り込んできてべたつく感じ。 「祐巳、今度のお休みはいつ?」 背中に投げかけられて祐巳は考えた。 たしか… 「祥子さま、明日は日曜…なんですけど」 ついでに明後日は海の日で2連休だったりもする。 言ってから振り向いて見えた祥子さまは少し怒ったような、照れくさいようなそんな表情。 「日曜だからって全ての会社だとは限らないでしょ」 「あぁ、はぁ…そう、ですよね」 我ながらなんて間抜けな返事。 日曜日に幼稚園があるなんてあまり聞かない。 でも、それは祥子さまだって分かっていて、多分、明日が日曜だってことを忘れてただけなんだろう。 その表情と声のトーンが照れ隠しだと祐巳に告げているから。 こういうとこ、学生のときと変わってない。 「じゃ、明日は暇?」 「えぇ、明日は何も…ないです」 実を言うと明日は瞳子に子守を頼まれてたのだけど、お母さんもいるし、多分大丈夫。 1歳になったばかりの双子の大麒と祐衣は少しも目が話せない。 お母さんには悪いけど明日は一人で面倒を見てもらおう。 「なら、一緒に出かけない?」 祥子さまはそういうと祐巳が頷く前に時間を指定。 明日の11時に車で迎えに来るから、と。 言うが早く、祥子さまはアクセルを吹かし去って行った。 車のテールランプが左折をして見えなくなるまで見送ったあとで、張り詰めていた思考が開放されたように戻る。 「どうしよう…?」 「あ、お帰りなさい」 玄関の戸を開けると瞳子の声がした。 下を見ると祐麒の靴もある。 結婚してから近くに家を建てた二人だか時々こうして夕食を食べにやってくる。 「うん、ただいま」 靴を脱ごうと玄関に座り込んだ瞬間、疲れがドッときた。 体の疲れじゃなくて、精神的なものかもしれない。 「祐巳ちゃん、もうご飯できてるから荷物を置いたら手を洗ってリビングに来てね」 遠くからお母さん声。 それとTVの声と子どもたちの声も聞こえてくる。 とりあえずご飯を食べよう。 そして、それから考えることは考えよう。 玄関においてある鏡で自分の少し浮かない顔を見ながら、家族に心配させないようにしなくてはと思う。 表情が言葉よりも分かりやすい祐巳の顔。 大丈夫1時間くらいなら女優を演じれるだろう。 トントン 軽い音のノックがした。 夕食も終わって、何とか祐巳は笑顔で乗り切ったつもりだ。 自室に帰り、ベッドの上に横たわり、何を考えればいいのか分からないままボーっとしていた祐巳は我にかえる。 「は、はい!」 「お姉さま、どういうことですの?」 「は?」 ガタッと音がして開かれたドアの向こうで仁王立ち。 ノックが軽い音だった割には開口一番ヒステリックな声で瞳子は言った。 どういうことですの?ってどういうことだろう… 「お姉さまにしてはうまく隠してたほうですわ。でも、何か今日あったのでしょう?」 ため息混じりに瞳子は言った。 今度は優しくドアを閉めて、祐巳の隣、ベッドの上に腰掛ける。 特技の百面相は元気な祐巳を演じている間も発動していたのだろうか。 はたしてそんな自覚などないが、瞳子がそういうのなら、食事中に浮かない表情をしていたのかも知れない。 「夕方、祥子さまがこちらの家を訪ねてこられたじゃないですか。瞳子が思うに祥子さまと何かあったのだ思うのが自然ではないかと思うのですけど」 そういえば、祥子さまは祐巳に会う前に家に寄ったとかおっしゃっていた。 ならば、昼過ぎから家にいた瞳子は祥子さまと会ったに違いない。 ただ、どうして問題の種を祥子さまだと決め付けているのかは謎だけど。 もしかしたら仕事のことかもしれないのに。 「そんなことは…」 「ない、と自信を持って言い切れますの?」 「うっ…」 高校時代からの付き合いのある瞳子は鋭い。 こちらを見つめるし視線が、ウソなんかついてお見通しですわ、と、物語っている。 祐巳だってウソを押しとおせるなんて欠片も思っちゃいないけれど。 「瞳子は、優しいね」 「何ですの、急に?」 「ううん、何となくそう思っただけ」 怒ったような表情をして、顔を少しだけ赤くした瞳子が『冗談はお止めになって』とそっぽを向く。 些細な心配事なら日常に溢れてるのだから、祐巳のことは放っておいても大丈夫かもしれないのに、瞳子はいつも声をかける。 ただ、言い方は素直じゃないけれど。 そして、今回は些細なことではないけれど。 「あのね、もし、瞳子だったら…」 言って祐巳は近くにあった観賞植物の葉をゆすった。 緩やかに上下に身体を震わせる木の葉。 言うべきか言わざるべきか。 木の葉の揺れが止まったときに、ふと続きの言葉が口を出た。 「瞳子だったら、大好きな人のために新しい場所に行こうって思える?近くに家族も、友達もいなくて…」 声が細くなっていく。 隣で大きなため息が聞こえた。 「バカじゃないですか?」 何となくそう言われるような予感がしていたから、祐巳は素直に頷いた。 きっとバカなんだ。 疑問を口にしてみたもの、それが本当に聞きたいことだったのか分からない。 何に悩んでいるのかも分からない。 「お姉さまは本当に好きなんですか?」 「え?」 「だってそうじゃないですか。好きだったら傍にいたいと思うのは当然のことですわ。もちろん、傍にいるためには問題があることもあります。でも、その問題 以前に周囲のことを考えてるだなんて瞳子はお姉さまの気持ちが分かりません。新しい場所だろうが知らない場所だろうが、一緒に生きていけるって思えないな ら、お姉さまの好きというレベルはその程度なんですわ」 正論だった。 きっと、瞳子の言うことは正しくて、間違っていない。 祐巳だって祥子さまのことは好き。 それは昔から代わりようのない事実で、出会ってから数年たった今でも好きという量が減ったり増えたりはしていない。 祥子さまと一緒にずっといれたらいいな、と願わなかったことはない。 じゃぁ、何故、願いが叶えられそうになっているのにこんなに戸惑っているのだろう。 「とはいえ、祥子お姉さまも強引ですわね。仕方ないといえば仕方ないのですけど…」 「へっ?」 祥子さまが関係してるなんて一言も言っちゃいないのに… 「お姉さまが悩むことなんて単純ですもの。祥子お姉さまが関わってることは一目瞭然ですわ」 得意げに瞳子が微笑む。 また疑問が顔に出てたのかな。 「瞳子はお姉さまが答えをすでに分かってらっしゃると信じてますわ。きっと正しい選択をなさるはずです。そうして考え出した答えに祥子お姉さまは何も口出しはしない」 「瞳子はすごいね。私より祥子さまのこと、私のことも分かってるみたい」 祐巳が真剣に考え抜いたことに、例え間違っていたとしても、祥子さまは頭ごなしに自分の意見を押し付けたことはない。 それは多分、祐巳のことを考えて、そして、意見を尊重したいという願いがあるからだろう。 祐巳が間違った答えを出したときはそっと横から風がふわりと入り込むように、言葉をささやくのだ。 無理やりではない。 そういう考え方もあるけれど、それだけが答えじゃないということをそっと気づかせてくれるような、そんな感じ。 「自分のことはよく分からないものですわ。そして、他人のことは客観的に見れるからよく分かるものなんです。それに、私とお姉さまは付き合いが長いですからね」 誇らしげに言うと瞳子はベッドから腰を上げた。 話はこれでおしまいとでもいうように頷く。 「それでは私はこれで失礼しますわ」 「うん」 遠くで祐麒の声が聞こえる。 きっと帰る間際になっていなくなった瞳子を探してるんだ。 時計を見るともう午後9時前で、そろそろお風呂に入って明日の準備をしなくちゃいけない。 ざっと着替えとパジャマを用意して準備は万全。 「お風呂に入るついでに玄関までお見送りするね」 「ついで…というのは気に入りませんけれど。少しは表情が穏やかになりましたもの、それで許しますわ」 顔は笑ってるくせに、相変わらずの憎まれ口。 こういうとき、支えてくれる誰かがいるということは幸せだなって祐巳はつくづく思った。 明日は祥子さまとお出掛け。 今は答えはまだ見えないけれど、せっかくお会い出来るんだから楽しもう。 そして、明日は一日を通して思ったことを素直に祥子様に伝えよう。 多分それが答え。 心が定まったら祐巳の元気が出てきた。 約束どおり祥子さまは約束の時刻の5分前に家を訪ねてこられた。 まるで昨日のことなど忘れているかのように平然としている祥子さまに祐巳は戸惑いを感じたわけではなかったが、相手が何も言い出さないのなら祐巳から簡単に言い出せる問題でもない。 学生のころのように駅の周辺をぶらつき、ファーストフード店で食事をし、ウインドウショッピング。 離れている時間を埋めるように会話が弾む。 そうした楽しい時間に身をゆだね、祐巳はいつしか悩んでいたことさえ忘れそうになる。 夕刻6時を少し回ったころ喫茶店で一休みしていた祥子さまが唐突に呟いた。 「リリアンに…戻ってみたいわね」 大学のキャンパスなら一般人でもぶらつくことは出来る。 でも、祥子さまの呟いた言葉の意味はそれとは違うように思われて祐巳はグラスの汗が滑り落ちていくのを眺めた。 二人が学生で、会おうと思えばいつだって会えた過去。 それは過去であって記憶の残像。 戻ることは無理だ。 どう足掻いたところで時は流れてしまったのだから。 「行きましょう…」 「祐巳?」 「行きましょう、リリアンに!」 気がつくと祐巳はそう叫んでいた。 祥子さまが漆黒の美しいその瞳を小さくして驚いている。 過去に戻ることは出来ないけれど、あのころの楽しかった日々は本物で、今の自分たちを形成した場所であることに違いはない。 戻れないけれど、振り返ることは出来る。 夕焼けの赤い光に照らされて、祐巳は思った。 もしかしたら祐巳が求める答えはそこにあるのかもしれない。 「仕方ない子ね」 祥子さまは苦笑いをして、行くことを承諾した。 「懐かしいわね、あのころと何も変わってない」 並木の間を夏の突風が吹きぬけてザワザワと葉を鳴らした。 じんわりと出てくる汗を拭いつつ、祥子さまはかつて毎日のようにしていた動作をした、マリア様に向かって。 本当は夏休みといえどもここは学校。 しかも夕暮れ時。 だから、卒業生とはいえども校内には入れないんだけど、校門の近くで担任だったシスターに出会い、入れてもらった。 学生だったころと同じ空気が流れて、タイムスリップした気分。 でも実際にここにいるのは卒業して大人になった二人。 あのころを少しだけ振り返って、一瞬一瞬の煌いた瞬間に思いをはせた。 ツインテールを揺らし、祥子さまに会える日々を、会える学校にときめきながら登校したことを。 あのころの自分が今よりも純粋に思えて、祐巳は苦笑した。 「なぁに?」 祥子さまが訝しげに問う。 「いえ、あのころの私は若かったなぁって思いまして」 「今では若くないような言い方ね」 「へっ?あ、どうなんでしょうね。自分では若いつもりですけど、最近は二十歳すぎたら…っていう時代ですから」 「それじゃぁ、あなたより年上の私はどうなるのかしらね…」 祥子さまは拗ねたようにプイッと横を向いてしまった。 そういうつもりでの発言ではなったのにと、慌てふためく祐巳。 「だ、大丈夫です!祥子さまはお美しくて綺麗ですから!」 祐巳が言うと祥子さまはこらえ切れないように、身体をくの字に曲げて笑い出した。 祐巳をからかう冗談だったのだと今更気づく。 クククッ…と祥子さまの口の端からこぼれる声。 「お、お姉さま!」 顔を赤くして少し怒気をはらませた声。 動転しているのか、場所のせいなのか、ついつい昔の呼び方が出てしまった。 「ごめんなさい、つい…」 目に涙を浮かべて一息ついた祥子さま。 「それにしても久しぶりね。いきなりお姉さまと呼ぶなんてあなたどうしたの?」 大学に入ってからというもの、周りの環境もあってか自然と祥子さまと呼ぶようになってしまった。 それでも今日は心があのころの自分に戻っているのだろうか。 自然とこぼれた言葉だった。 「心が若返ったんじゃないですか?」 少しスパイスを加えた言葉で切り返してみる。 実際のところ、思いもかけずでた言葉だったから、何故発したかなんて分からないんだけど。 やっぱりこの風景と雰囲気があのころへと二人をいざないっているのかもしれない。 ここは本当にひどく身近で忘れられない場所だから。 しかし、祥子さまにはこのスパイスは効き目がないみたいで、サラリと流される。 「心は高校生ってわけね。でも、今となってはあなたが『お姉さま』と呼ぶほうが不自然にに感じられるくらいだわ」 「私もです。お姉さま、と呼べることが高校時代の特権だったんですよ、きっと。あのころは祥子さまは確かに私のお姉さまで、今は…お姉さまではないから」 瞬時に祥子さまの顔が凍った気がした。 「それは…どういう意味かしら?あなたにとって私は…」 「ああっ!!違うんです、そういう意味ではなくて」 言葉が足りなかったみたいで、祥子さまは勘違いをなされたようだ。 「今の祥子さまは私にとって姉妹としてではなく、祥子さまという存在そのものなんです。えーっと…どういっていいのか分からないんですけど。今は祥子さまという人こそが好きなんです。お姉さまとしてではなくて…」 上手い表現方法が分からない。 けれど、この言葉は祐巳が言いたいことを的確にあらわしているようにも思えた。 祐巳は深く深呼吸をした。 「今はお姉さまだから好きなのではなく、祥子さまだから好きなんです」 照れくさくて俯く。 きっと、今の自分は顔が赤くて小さくなってるに違いない。 熱くなった頬にひんやりとした細い指先がかかる。 「ありがとう」 祥子さまが微笑んだ。 目の前のマリア様よりも美しく、女神のように見える。 「私、今日分かりました。やっぱり、祥子さまが大好きです」 そう言って、祐巳は祥子さまに抱きついた。 照れくさかったのもあるけど、想いを伝える手段が見つからないから、分かって欲しくてギュッと強く抱きつく。 サラサラと流れる黒髪が祐巳の肩を流れ、その腕が背に回された。 祥子さまの声が耳元で響く。 「私もよ。祐巳が祐巳だから好き。大好きよ」 その言葉を聞いたときに、祐巳は何かが吹っ切れた。 答えが見つかった。 祐巳が悩んでいたのは不安だったから。 祐巳だけが祥子さまを想い過ぎてるんじゃないかという不安。 祥子さまは普段言葉にして祐巳に想いを伝えてくれることがないから、態度だけじゃ不安だったんだ。 でも実際は二人とも同じくらい好きなんだ。 「祥子さま」 「ん?」 「私、一緒に行きますね、何処へでも」 今度は祐巳が祥子さまの耳元で呟いた。 あの日二人を姉妹にしたマリア様は、あの日と同じように暗がりの中を月明かりに照らされて輝く。 学生のころとはいろいろと変わってしまった二人だけれど、変わったものの中には二人を結ぶかけがえのない関係もある。 祐巳は祥子さまを抱きしめてマリア様に感謝する。 帰り道、二人は薄暗くなった並木を手を繋いで車のある駐車場まで歩いた。 距離はあっという間に思えた。 絵は黒い縁取りのシンプルな額縁に入れられ、玄関の右の壁へと掛けられた。 日当たりのよいそこは、ドアを開ければすぐに目に入る。 「どうです?」 「いいのではなくて」 飾られた絵を満足そうに見つめる祐巳。 姪の作品を自分の子が書いたかのようなはしゃぎっぷりである。 額縁を選ぶにだって、数種類しか置いてないのに1時間も悩むほどだった。 姪っ子がかわいいのは分かるから何も口出しはしないのだけれど。 「それより祐巳、ちょっと来てくれる?」 「あ、はいっ」 祥子は本題を話すべく呼びかけた。 リビングのソファに座り、祐巳は不思議そうに視線を投げかける。 キョトンとした表情は昔とちっとも変わらない。 昔、百面相と歌われた祐巳は今もなお健在で、その表情を読むにきっと何か失敗か癇に障ることをしたのかと不安げなのだろう。 そんなつもりで名前を読んだわけではないのに。 「くまのぬいぐるみがあるのよ。それもとびきりお気に入りの」 「へっ?」 突拍子のない言葉に祐巳は素っ頓狂な声を出した。 「でもね、そのぬいぐるみは長年一緒にいたせいでボロボロ。だから、ある人が言ったの。そのぬいぐるみは捨てて、新しいウサギのぬいぐるみをあげるって」 「はぁ…?」 「祐巳ならどうする?」 「クイズ、なんですか?」 「質問に質問を返さないでちょうだい」 祥子は髪をかきあげた。 これはクイズなんかじゃない。 ただ、どういう答えを出すのか興味があるだけ。 本題に入る前に確かめたいことがあるから。 祐巳の出す答えに。 「でもいきなり過ぎて話が見えないのですが…」 「あぁ、それもそうかしら。ごめんなさい。これはクイズではなくて、祐巳が感じたように答えて欲しいだけ」 その答えによってはこの後の対応が変わるのだけれどそれは秘密。 祐巳はますます複雑そうな顔でこっちを見てるけれど答えのない質問にアドバイスもヒントもない。 学校の試験のように、いくら試験問題がわからないからといって番号選択問題一つ一つにペンを置いて先生の反応をうかがうなんてことできないのだから。 しばらく放っておくと、祐巳は考えこむようなしぐさで天井を見上げた。 白い壁。 シミはない。 しばらくするとボーっと視線を泳がせているので、本気で考えているのかと祥子が疑いたくなるほどだ。 静寂な時間が流れ、祐巳がポツリと言った。 「何でくまじゃなきゃいけないんでしょうね?」 「どういうこと?」 「いや、お気に入りはくまのぬいぐるみなのに、何で新しいものはウサギなのかなぁ…って。それにボロボロだっていいじゃありませんか。くまが好きなんですから」 祐巳は右人差し指をくるくる回している。 「いくら新しいものを手に入れても、ボロボロなくまさんを手放したことを後悔しちゃう。ボロボロなら自分で繕っちゃえばいいんですよ。新しいものはいつでも手に入るんですから」 そういい終わると祐巳は微笑んだ。 祥子も微笑み返す。 しかし、その微笑みは苦笑い。 隠された秘密が祥子の良心を少しだけつついた。 自分で仕掛けておいて今更とも思うけれど。 「それが祐巳の答えなのね」 「答え、というよりは思っただけなんですけどね」 へへへっと小さく笑う祐巳。 祥子はそっと横に置いてあった鞄に指を滑らせ、目的のものを探し当てると祐巳に差し出した。 濃紺の四角い箱。 それを祐巳の右手にそっと置く。 「こんなもので縛るつもりなんかないのだけれど、新しい場所に行く気がないのなら、ずっと私と今までのこの場所で過ごさない?」 祐巳が受け取ったのはピンクダイヤのリング。 小さいダイヤが埋め込まれている。 驚きに包まれていた顔がやがて赤味を帯び、嬉しさに変わっていった。 祥子はそっと祐巳を抱きしめる。 祐巳の目からは涙が頬を伝い、小さく嗚咽が漏れた。 「手放したこと、後悔したくないのでしょう?」 祐巳の耳元でかすれた声でささやく。 抱きしめた腕の中で頷く感覚だけが伝わる。 「あなたを試すような質問をしてごめんなさいね。私は…ロマンチックなことも素直なことも言えない」 「いいえ、そんな祥子さまも好きですから。分かってますから」 そう言って祐巳は満面の笑みで祥子を見つめる。 「ありがとう」 祥子は祐巳の手を握り、額に唇を一つ落とした。 あのマリア様の前のことのように、あの双子たちの絵のようにずっと手を取り合っていけますように… <了> あとがき まず、一言申し上げます… 酷い作品で申し訳ないです!!! 最初のうちは余裕を持って書き始めたんですが、中盤らへんからめっちゃ慌てて書きました。 しかもあれです、最近文章書いてなかったためか、書いてるうちに何書いてるのか忘れました…… 最初に書きたかったものと違う上に、内容も説明不足でして… 全ていいわけですね、すみません!!! 駄作しか書けないくせして無謀でした。 もう本当に自分が何を書いたのかだなんて分かりませんよ、本気で。 お目汚ししてごめんなさい〜! |
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